2006.01.18 Wednesday
障子と雨戸
昔は、家の外と中の仕切りは障子1枚だった。雨が降ったときや夜は雨戸を閉めたのである。
通常、雨戸は時間の経過によって徐々に閉めていった。夕暮れのときはまだ障子。すべて閉めるのはそろそろ寝ようかなというときである。木でできた雨戸には節もあり、そこからは光が入ってきた。閉めてしまっても周囲の様子は何となくわかっていた。
「今は、夕方5時にもならないのに、一斉に雨戸を閉める。家の中は真っ暗になって、黄昏の時間帯の様子を知らないで過ごしてしまうんですよね。他の気配を全部断ち切って、電気をつけて家の中にこもり、テレビを見ている」
隣の人が帰ってきたかどうかも知らない。遅くまで塾に行っている子供たちは、時間の動きや外の気配がまったくわからない。「雨が降りそう」「もうすぐ雨が上がる」という自然の様子を感じ取ることもできない。
「時間の動きや外部の様子を楽しむことができる家でないと、人間の感性は育たないでしょうね」
竹原 義二
竹原 義二 語録[9]
2005.12.23 Friday
「用の美」からくる天井高
「一般的に最近の住宅の天井の高さは中途半端だと思います。どの部屋も、どこまでいっても同じ高さ。これは、2階建てにするための効率のいい天井高を決めてしまってるからなんですよね」
昔の家は、空間にメリハリがあった。低いところがあれば、高いところも吹き抜けもある。それは、単に高さを変えているのではなく、使い方を考えてのことだった。いわゆる“用の美”である。
囲炉裏の煙が上がって、上部に広がっていく。それによって柱や梁が燻され、腐らないように、虫に食われないようにと考えられていた。そこには煙返しもつけられていて、暖かい空気が壁を伝って落ち込んでくる。寝る部屋も、暖をとるために天井高は低く抑えてあったのである。
竹原 義二
竹原 義二 語録[8]
2005.11.23 Wednesday
構造計算書偽造事件について
このところ毎日のように報道されてますが、みなさんはどう思われますか?
今回の事件とは関係なく、建築士も細分化され、専門化されてきてますね。設計・施工サイドでは、自分は意匠専門だから、構造・施工・積算・設備等はチェックしなくっても・・・なんてことが往々にしてありがち。確かに、各分野は高度な技術が必要ですけど、それがチェックできなければ今回のようなことが起こる可能性だってあるわけです。 一つの建物を纏め上げる責任ある地位にいる人は、そのことが出来て初めて一人前・・・そう思います。
そう考えてみると、今回の事件は、元請けの設計事務所の責任も重大だと考えてます。
今の社会構造のどこかに歪みが生じてるのじゃないかな? 当事者にしても、何故自分の首を絞めるようなことをしなければいけなかったか?そのことの検証が大切だと思います。
表面的な者だけを罰したのではトカゲの尻尾切りです。
建築主の意識改革も必要です。それに毅然と立ち向かえるようにならないと、建築士の地位向上には繋がらないですね。
黒田清治 (2005.11.23記述)
2005.11.18 Friday
間接的な光の入り方
今の住宅は、外部との間が大型ガラス1枚で仕切られている。昔は光の入り方を考えて、仕切りを工夫していた。家の内外のさまざまな意匠によって光を調整していたのである。
軒先が出ていたのは、光をバウンドさせる意味もあった。つまり、地面から反射して上がってくる光の扱い方を考えたのである。
「日本の家づくりで竹を多く使ったのも、成長が早くて入手しやすいというだけでなく、光の入り方を考えたためだったんです。竹は光るため、天井に使うと鏡のような役割をします。外から入った光が天井で光って、もう一度床に落ちる。そうやって屈折して入ってきた光は美しく見えるんです。半艶の磨き丸太を使うのも、光を映り込ませて柔らかい明るさにする効果があるからなんですよね」
光の入り方ひとつにしても、日本の建築は随所に工夫を凝らしている。それによって独特の意匠が生まれてきたのである。
竹原 義二
竹原 義二 語録[7]
2005.11.18 Friday
間合いをとる
昔の町家には、格子が使われているものが多かった。家の奥で何をしているかが格子越しに外からわかり、家や店の奥からは、外を歩いている人が見える。ここに“透かし”という美学が生まれていた。
最近では少なくなってしまったものの、かつては日本の建築のほとんどに、“透かし”が施されていた。透かすことで相手が全部見えることなく、ちらっちらっと見え隠れする。こうすることで相手との距離を感じ、同時に存在も感じることができた。
「よく、“間合いをとる”って言いますね。このへんだったら見えないなとか、ここまでするとボケているけれど、相手はわかるとか。自分と相手の距離を保つことを、昔の人はきちんと理解していたんですね」
竹原 義二
竹原 義二 語録[6]
2005.10.18 Tuesday
「つなぎの間」に集う
昔から、家は家族が集まる場所であるとともに、いろんなものをつくる作業の場であった。しかし、今はつくるということ自体をしなくなっている。行為が変われば、家も変わっていく。
「現代の家は、帰ったときに気持ちが落ち着き、自分の居場所があること、他者との関係がとれる場所であることが求められると思います。」
竹原氏は、家をつくるときに必ず「つなぎの間」を設ける。それは、人が場所と場所を移動する間で立ち止まるところであり、使い方は明確でなくてもいいと考えている。
「“何室”でもいいんです。そこに立ち止まって、『今夜の食事をどうしようか』とか、『何をしてくつろごうか』とか考える。それが家族と話し合うことにもつながっていくんです」
時間を止め、時間の扱い方を考える空間。そこに行けば、何かいつも気持ちよくて、自然にみんなが集まってくる。それが、家族が集う場所になるのである。
「『5人家族だから5部屋が必要』というような、今まであった固定観念を崩さなければ、こうした“つなぎの間”=集う場所はつくれないものです」
昔の家には、二間続きの部屋や田の字型プランなど、“つなぎの間”にあたる空間が、必ずあったものだ。それらは用途を決めつけない部屋、ふだんは使わない部屋であり、空間としても余裕があった。人がたくさん集まる冠婚葬祭のときは、襖を取り払って部屋を二間続きの大空間にするなど、フレキシブルに使っていた。
「リビングや寝室などといった部屋の用途を決めることは、集合住宅では寝食分離という意味で役立ちました。しかし、個人住宅においては、あまり意味を持たないことではないかと思うのです」
竹原 義二
竹原 義二 語録[5]
2005.09.18 Sunday
人を立ち止まらせるアプローチ
アプローチでは、立ち止まるということが重要になってくる。
茶道の世界では、いかにして人を立ち止まらせるかを考える。玄関に到達するまでの距離が短くても、何回も立ち止まることができるようにアプローチをつくる。何回も折れ曲がっていたりするのは、そのためである。
「たとえば、曲がるところの石の敷き方が変えてあるんですよ。すると、その石に目線がパッと止まり、すぐには曲がらない。そういうプロセスを踏むことで、その家の玄関に行くまでの自分の気持ちも変わっていくんですね」
こうした経験を持つことで、人はそれぞれに玄関までの行き方を考えるようになる。広い敷地の農家などに行った場合でも、玄関までどうやって行こうか、と思いをめぐらせる。サーッと玄関まで行く人、自分で何かを感じ取りながら行く人、さまざまである。
「アプローチで人を立ち止まらせるという考え方は、今の住宅では非常に欠落していますね」
竹原 義二
竹原 義二 語録[4]
2005.08.19 Friday
訪れる人を迎える門
昔は、門屋の上に屋根がのっていた。訪ねてきた人は、そこで立ち止まり、待つことができた。今の門扉は外からの人を拒否するような側面が強く出ている。それは、自分と他者が共有する空間を切り捨ててしまうかのようである。
家をつくるとき、竹原氏は門の高さを重要視している。
「『門は人の顔が見えるぐらいの高さ(1200〜1300mm)にしましょう』と建て主さんに言うんですが、『乗り越えられませんか』などと心配されるんですよね(笑)」
この高さだと門を挟んで外の人と話ができ、人を迎えるという大切な行為も自然にできる。今はインターホンで来客を確認し、門の防犯システムを解除するだけのことが多い。
最近は打ち水もしなくなった。かつては来客の予定があると、ちょうどその時間に水が引き加減になるよう、門の前の道やアプローチに打ち水をしたものである。
「こうした行為は『今日、私はあなたを待ってますよ』という印だったんです。呼び鈴を鳴らさなくっても、訪ねていいとわかるようにね」
竹原 義二
竹原 義二 語録[3]
2005.07.15 Friday
深い庇
最近は庇がほとんどないような洋風の家もあるが、建物に雨が直接当たり、直射日光が部屋の中に入ってくる。日本建築が庇を深くとっているのは、雨が多く、夏の暑さが厳しい気候を考えてのことである。
庇が深く、軒先が低くなっていると、雨の跳ね上がりが少ない。太陽の光も、地面や軒先で吸収されながら、間接的に入ってきて気持ちがいい。
「家の中に座って外を眺めたときも、窓のピクチャーに軒先の線と地面が手頃な高さに見えるんです。これだと、景色に遠近感を感じるんですよね。奥へ奥へと広がっていくんです。視界から見えるのが、ただ大きな開口部だけだったら遠近はとれないんですよね」
昔は深い庇の町家が並んでいた。それぞれの家の庇が道沿いにずっと続き、突然雨が降っても、軒先に入り込めば雨宿りができた。夕立があっても会釈などをしながら、みんながそこで雨が上がるのを待っていた。
「こうしたことからも、昔の住まいが他者との関係を大切にしていたことがわかりますよね。庇ひとつによって、自分の家と他人の家、道路がつながっていたんです」
竹原 義二
竹原 義二 語録[2]
2005.06.14 Tuesday
日本の住まいがなぜそうなったのか・・・
・・・根源にある理由を知ることが大切
【日本の住まいがなぜそうなったのか、根源にある理由を知ることが大切】
21世紀という現代に、「和の住まい」を考えるとき、1930年代、つまり戦前、外国から「洋」が入ってきた時期に建てられた住宅が、どんなのかを知ることがポイントになると思います。当時は、洋が入ってきたことで逆に和というものを意識し、そのエッセンスを住宅にうまく取り入れているんです。そこにある根源的なものを理解することが現代では必要だと思います。この時代の、洋の意匠と和の住まい方が融合したもにはいい住宅が多いんです。残念ながら、どんどん壊されてしまっているんですけど・・・。
今は、和風とか洋風とか言っても、すべて形やデザインだけで語られてしまっています。たとえば、屋根の形がフラットだったら洋風、のように。でも、そんな見かけだけのことで決めてしまうのは間違っていると思います。屋根でも窓でも廊下でも、その形になったのは理由があるわけだから。その理由や必然性を知ることが、和の住まい方を理解することにつながるんです。そのためには、ある程度、日本の昔の建物や、建築の歴史を勉強する必要があると思います。
たとえば、書院造りの渡り廊下は、部屋から部屋へと折れ曲がってつながっていて、行くところどころに庭があって、人が立ち止まることができる。これは人が場所を動いていく回遊式の住居で、外部と内部の関係を考えてつくられています。民家でも、土間などは日常の作業と生活の場が一緒になったところです。
それぞれの部位が、なぜそうなったのかは必ず理由があるんです。日本の住まいというのは突然出てきたものではなく、こうした暮らし方を受け継いでつくられてきたものなんです。さらに、雨が多く四季がある日本の気候や風土に合わせて、先人たちはさまざまな工夫をしてきました。それが、必然性を持ってひとつひとつ形になっているんです。また、自分だけでなく近所に住む人や道行く人、外の自然や環境など「他者との関係」にも配慮したものになっていました。今、僕がつくっているのも、そんな日本の住まいの考え方を取り入れた住宅なんです。
住宅については、これまでに世相とともにいろんなことが言われてきました。しかし、21世紀は見かけのデザインやイメージでない、根本にあるものを住まいに求める時代になるべきだと思います。
今、家づくりを考えている人は、世の中に氾濫する情報に左右されず、日本人が受け継いできた住まい方についてじっくりと見直す作業をしてほしいですね。
竹原 義二
竹原 義二 語録[1]
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